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『歩いてきた道』
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| 安藤勇寿(画)/中川晟(文)/本願寺出版社 |
今回、紹介するのは安藤勇寿氏の「少年の日」とタイトルのついた画集です。
36枚の四季折々の季節の絵の中に少年が居て、その息づかいが聞こえてくるようです。誰もが平等に貧しい時代の少年の頃、明日は豊かになると不確かだけど確信を持って過ごした日々のひとコマひとコマが描かれているので、幼い頃の思い出と重なって「こんな風景があったなぁ…」と思わずにいられません。
桜、5月の風と青い空、6月の梅雨、7月の海、8月の夜空に輝く星、9月のかげろう立つ海、秋深い日に叱られた時の情景、11月の夕暮れどきの思い出など・・・。中川晟氏のエッセイが添えられてあり、ページを繰る毎に胸の奥からグッとこみあげてくるものが、刹那さであると気付くのに時間はかかりません。どの絵にも生きる事への想いがあり、それは明日へと続く道のようで単なる哀しみや郷愁に留まらないのがこの絵の魅力です。
例えば…『だれにもいえない悲しいことがあって、ぼくはとつぜん泣きだす。
ころげ回って泣く。
「オン、オン」と声をあげて泣く。村じゅうにひびきわたるような声で泣く。
泣いていると悲しみが深くなって、「オーン、オーン」と泣く。みんなが心
配して、ぼくの周りをとりかこむ。ぼくは泣きつづける。悲しげに泣く。涙
で顔はぐしゃぐしゃ。
「オイ」、ガキ大将のタッちゃんが、ぼくの背をやさしくたたく。あったかなてのひらに、とつぜん涙がとまる。涙がとまると、もうふつうのぼく。タッちゃんがぼくを見て、「ニッ」と笑う。みんな去っていく。そのうしろ姿をうわ目で見ながら、朝やけに全身そまったように、ぼくはまっかになる。』
(4月卯月〜から抜粋)
『雑木林へはいっていくと、そこには、やさしいやさしい世界がひろがっていた。
あたたかなあたたかな世界がひろがっていた。
…途中 略…
そしてそこには、その木漏れ日をいただいて、いっしょうけんめいに生きている小さな草花たち。その草花の周りにも、ひっそりと生きつづけるいのちと、いのちのかがやきと、うれしさとがひろがっていた。ぼくは、しずかに移動する木漏れ日を追って、雑木林の中のいのちたちと語りあっていた。』
(7月文月〜から抜粋)
『ある日の夕ぐれどき、弟がぐずって泣きだすと、母はそっとすわりこんで、弟に背中をむけた。弟は、母の背中へとけこむようにしずみこんで、しゃくりあげた。母は手をうしろに回し、弟をしっかりとその手のなかにつつみこみ、しずかにゆすりあげる。
母は、ぼくと弟をつれて外へ出た。
だまってのずらの道をあるく。
だまってあるく三つの影。やみに向かってゆっくりあるく。
やがて、やみの中では母立ちどまり、小さな声で、「かえろ、やっぱりかえろ」
とつぶやく。ぼくは、その母の横にぴったりとくっついて、ときどき母の顔を見
あげる。母の目は、涙をのみこんでいる。ぼくは、なぜか、ほっと安心する。』
(11月 霜月 から抜粋)
「我が道を行く」とか『僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る…(高村光太郎)』などと人生はよく道に例えられます。でこぼこ道に曲がりくねった道、山あり谷ありの道に、ややもすると歩むべき人生を諦めたくもなります。でも立ち止った時にそっと手を差し伸べてくれる人が居れば、また前に進むことができると私達は知っています。
【紹介者あとがき】
この画集『歩いてきた道』の作者も後書きで、こう述べています。『歩むべき道
を明確に照らしてくれた数々の出会い、起き上がる力をくださった多くの皆様に
感謝いたします。』と。この画集の一枚一枚の絵に、人生の数だけの物語が生ま
れることでしょう。貴方だけの人生の思いを 物語を紡ぐように 絵に馳せてみ
たらいかがでしょう。
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